ソフィアメディでは関東エリアの東京と神奈川に70ヵ所の訪問看護ステーションがあり、東京を生活の拠点としているスタッフも多いです。そのなかには、生まれ育った地元を離れて、さまざまな憧れや目標を持ち上京してきたスタッフも少なくありません。新しい環境に自ら飛び込みチャレンジするソフィアメディのスタッフに、上京した理由や当時の心境、どのように東京の生活に慣れていったかなどを聞いてみました。今回はどんな上京物語が聞けるのでしょうか?
(※記事の内容は2022年2月取材当時のものです)
<プロフィール>
■Y.Kさん/看護師/ステーション矢口
和歌山県出身。地元の看護学校を卒業し、実家から車で通うことができる総合病院に就職。消化器外科、脳神経外科、循環器内科病棟を経験する。看護学生の時から東京での生活に憧れを抱いており、総合病院で幅広い知識・技術を身につけながら上京に向けた準備を進める。2021年、ついに生活拠点を和歌山から東京に移し、ソフィアメディへ転職。現在はステーション矢口で勤務する。趣味は運動、ボードゲーム。
2021年、ついに上京。学生時代から憧れていた東京へ
──ソフィアメディに入社される前の経歴を教えてください。
Yさん:和歌山県で学生時代を過ごし、看護学校を卒業後はいろいろな経験を積むことができるようにと思って、地元の総合病院に就職しました。消化器外科、脳外科病棟で2年、循環器内科病棟で2年の計4年間勤めました。
──そのときは、ご実家から通われていたんですか?
Yさん:実家から車で30〜40分かけて通勤していました。地元だと大きな病院が少ないので、そのくらいの通勤時間は当たり前でしたね。片道何キロあったのかわかりませんが、峠を2つくらい超えて通っていました(笑)
──上京はいつ頃から考えていたんですか?
Yさん:自分の育った場所がすごく田舎だったので、早く地元を出たい!と思っていました。友人も同じように思っている人が多く、進学のタイミングで上京していましたね。看護師として働き始めてから、その友人に会うため何度も東京に遊びに行くうちに、ますます東京への憧れが強くなりました。
でも、奨学金を借りていて3年間は地元で働かなければいけなかったので、それが終わったらすぐに上京しようと考えていました。
──では、前々から上京に向けた準備を進められていたんですか?
Yさん:東京で生活をするために、転職先の検討や引越し費用の貯蓄など必要な準備を進めていきました。奨学金の返済期間も無事に終えたのですが、今度はそのタイミングで新型コロナウイルスの流行があり上京のタイミングが少しズレてしまいましたが、2021年の6月末に上京してきました。
──ご両親に上京することを伝えたときはどのような反応をされましたか?
Yさん:最初は新型コロナウイルスを心配して反対されました。でも、自分の気持ちをしっかり伝えたら、「自分の人生だから、どこにいっても大丈夫」と言って送り出してくれました。
東京で一人暮らしを始めて、改めて両親に感謝しています。実家にいたときは、掃除や洗濯、料理などの家事は全部やってもらっていたので、自分は何も考えず仕事をすることができました。でも、今は仕事と家事の両立をしながら、好きなことをする時間を作るのが難しいですね。
──ご実家から東京への引越しはスムーズにできたんですか?
Yさん:実は、引越し先と転職先が決まる前に上京したんですよ(笑) 。新型コロナウイルスの影響で家の内見がなかなかできず、引越しに時間がかかってしまって。だから、こっちに住んでいる友人の家にお邪魔して、住む家が決まったら実家から荷物を送ってもらうように頼んでいました。
住む家が決まってからも、家具や家電を揃えながら転職活動をしていたのでバタバタでした。
コロナ禍で制限を受けながらも、東京を満喫
──東京に来てからの楽しみを教えてください。
Yさん:地元に住んでいたときは、買い物やカフェに行くにも車で高速道路を使って行かなければいけませんでした。よく大阪にも遊びに行ったのですが、梅田や難波、天王寺くらいだとあっという間に回りきれてしまうので物足りなくて。
コロナ禍もあってあまり外出ができませんが、今では友人と気軽にお洒落なカフェに行ったり、買い物ができるのが楽しいですね。東京は1つ1つの街が魅力的なので、どんどん開拓していくのも楽しみです。
──どんなところによく行かれますか?
Yさん:渋谷に買い物やジムで行くことが多いですね。あと、神奈川に友人が多いので川崎です。神奈川でしか使えないのですが「かながわPay」というのがあって、使ったら20%分のポイントが還元されてお得なのでよく買い物に行ってますね。
──プライベートもすごく充実していらっしゃいますね!コロナ禍でなかなか帰省するのも難しいと思いますが、地元との付き合い方はどうですか?
Yさん:新型コロナウイルスが落ち着いていたお正月に1度だけ帰省することができましたが、やっぱりすぐに会える距離ではないので両親のことが心配にはなりますね。飼っていた犬に会えないのも寂しいです。
それから、地元の友人や前職の先輩とマメに連絡をするようになりました。毎日のように誰かしらに電話をしていますね。
──憧れてた東京の生活だと思いますが、今どのくらい満喫できていますか?
Yさん:やはりコロナ禍ということもあって、我慢しなければいけない部分があるので満喫度合いは7割くらいになりますね。新型コロナウイルスが流行る前は、よく東京のボードゲームカフェに行って、はじめての人たちの中でゲームをしながら仲良くなるのがすごく楽しかったのですが、今は全然できていないので今後の楽しみですね。
転職を考える中で気づいた「看護観」。やりたかったことを求めて訪問看護にチャレンジ
──訪問看護の領域にチャレンジしようと思ったキッカケを教えてください。
Yさん:看護学生のとき、実習先として病院や保育園、施設、そして訪問看護とまわらせていただいたのですが、正直その時は自分が訪問看護で働くイメージがありませんでした。
転職活動中にエージェントの人といろいろ話をさせていただく中で、「自分の看護観が何か?」という原点に立ち返ることにしました。そうすると、看護学生時代に学んだ「病気を看る」より「その人らしさ(=個別性)を看る」という看護観が自分の土台となっていることに気づきました。
前職の総合病院では患者さんの数が多く、時には急性期の患者さんや、医療処置が必要な患者さんなど多くの方が来院されていました。ある時、日々の慌ただしさの中で、「その人らしさ」を主軸とした個別性に重きをおくことなく、機械的に働いてしまっている自分に気付きました。
看護学校で教わり、自分自身のなかでも大切にしてきた「人を看る」ということに1番近いのは訪問看護なのかもしれない、と思って転職先を探していたときソフィアメディのホームページでミッションである“英知を尽くして「生きる」を看る。”という言葉を見つけたとき、まさしくこれだと思って決めました。
──慣れない土地での訪問看護、何が大変でしたか?
Yさん:転職によって生活拠点が和歌山から東京に変わったため、お客様のお宅を訪問する際に土地勘がないことへの不安がありました。和歌山であれば、大まかな位置関係や距離感が分かりますが、東京では市や区がどの辺りにあるのかさえも分からない状態でした。他の看護師さんたちは、オンコールの対応もあるためステーション近隣に住み慣れている方ばかりで、新しくお客様を担当する際にも「この方のお家は〇〇通りの近くだから」と教えていただくのですが、通りの名前や目印となるお店を知らないことが多く、慣れない土地での訪問に苦戦しました。
──他には病院時代との働き方のギャップはありましたか?
Yさん:看護師としてまだ5年でそこまで経験が長いわけではありません。今でも1人で訪問してお客様のケアをする際に「本当にこれでいいのかな?」と不安を感じることはあります。急に容態が変わった際やどのような対応をするべきか迷った時には、すぐ先輩のスケジュールを確認して、空いている方に電話で相談をさせていただきます。
自分が所属するステーション矢口は、ベテランの看護師さんが多いので仕事をする上で迷ったことがあれば相談しています。先日も「経験の年数に関わらず、常に学び続けていくことが訪問看護という仕事」と先輩看護師さんからの言葉に励まされました。
慣れ親しんでいない東京での訪問看護は常にアウェイの連続なので、より一層いい緊張感を持ちながら働くことができているのかもしれません。知らない土地、知らないお客様のところに訪問するからこそ、自分の看護観である「その人らしさを看る」が自然とできるのかもしれませんね。
ただ、看護の基本となるものは病院と在宅で大きく変わらないので、今までの経験をしっかりと活かすことができていると感じる部分もあります。「訪問看護ってどんな仕事なんだろう?」と不安もありながらの転職でしたが、新しい働き方に飛び込んでよかったと今では感じています。
[取材・編集]岡田紘平 [写真]本人、スタッフ提供