ソフィアメディは今、約10,000人のお客様とおつきあいがあります。10,000通りの「生きる」があり、10,000通りの「看る」があります。ソフィアメディのスタッフは“「生きる」を看る。”をどう捉え、お客様と接しているのでしょうか?それぞれの訪問看護に対する想いをご紹介します。
※こちらは2020年1月発行の社内報内インタビューを転載したものです。
〈今回私の“「生きる」を看る。”を話してくれた人〉
ステーション三宿・三茶 管理者 看護師(取材当時:ステーション三宿・三茶 看護師)
M.Hさん
どう旅立ちたいのか寄り添うのも訪問看護の醍醐味
“「生きる」を看る。”の看るという字は看護の「看」ですが、どこまでが看護なんだろうって思ったりもします。
以前、週に2回30分ずつ入っていたお客様は、人にお風呂に入れられるのはいや、お下の世話をされるのもいや、おむつもいや、入院もいや、人が作ったご飯はいやだから配食もいや、その上、「物を盗られた」と思いこんでしまう被害妄想があって、ご家族と縁遠くなり独居という女性。
心不全と乳がんで抗がん剤の注射をしていらっしゃいました。不整脈があり足もパンパンにむくんでいらっしゃいましたが、訪問診療の先生に処方される薬も服薬なさらない。ケアマネージャーさんは3、4回変わっていて、ヘルパーさんも続かない。最後は経済的に厳しくなり生活保護に切り替わりました。
そのお客様を引継ぎで担当した時は、お気持ちを損ねて契約終了にならないことが最優先。契約終了になったら週2回の安否確認が減ってしまうわけですから。
ケアマネージャーさんも最初は訪問内容を色々と提案してくださいましたが、結局、話し相手になるというスタンスに行き着きました。
こんにちは、お顔を見に来ました、という感じで、訪問中はいつも「誰々にトイレットペーパーを盗られた」という被害妄想を受けとめて差し上げる30分間です。「そうですよねだよね、そうですよねだよね。こんな素敵な生活していたらうらやましいですよね」なんて言いながらお聴きするのです。
わがままな方のように思われるでしょうが、人に弱みを見せたくないというお気持ちが芯にありました。よくよくお話をお聴きすると、お一人で妹さんたちを養いながら不動産業で成功した、という人生を歩んでいらっしゃった方で、誰の世話にもならないというプライドをお持ちだったんです。
そのお客様は最終的に、ご自身で「具合が悪い」と訪問診療の先生を呼んで、先生がいる間に亡くなられました。
つまり、おむつもしない、配食もしない、入院もしないという意思を最期まで貫いて亡くなられたのです。そのご様子をケアマネージャーさんから聞いて、天晴れだな、と思いました。
看るなのか、観るなのか、視るなのか?お客様に対して絶対こうあるべきということは思いません。お酒を一滴も飲まないとか糖分何g以内を守ることだけが重要ではないのでは?と思うんです。
うちの母も「死ぬまで晩酌したい」ってよく言うんですけど、「いいじゃない」って。
どう生きたいか、そして、どう旅立ってゆきたいかをお手伝いすることができる。これも訪問看護の醍醐味だと思うのです。