訪問看護のパイオニアとして、業界を牽引して挑戦を続けてきたソフィアメディ。現在も管理者として活躍中のOさんは、2003年に開設された第1号訪看ステーション「ステーション小山」にて、当初から勤務されていたベテラン訪問看護師の一人です。
前回の記事では、管理者の仕事にフォーカスしてお話しいただきました。今回は視点を変え、Oさんが訪問看護の認定資格を取得して認定看護師となってからのお話や、訪問看護で大切にしていること、これまでの印象的なエピソードなどについて伺った内容をお届けします。
▼Oさんのインタビュー記事前編はこちら
「新卒から訪問看護一筋」。勤続18年のベテラン看護師が管理者になるまでのキャリアとステーション管理のやりがいを語る
<プロフィール>
■O.Aさん/看護師・管理者/ステーション雪谷勤務
大学卒業後、訪問看護師としてソフィアメディに新卒(※)で入社し、現在18年目。最初はソフィアメディの第一号ステーションであるステーション小山にて勤務し、3年目から管理者の道へ。その後、管理者職から一度離れ、認定看護師の資格を取得。様々なステーションで管理者を経験し、ステーション成城時代には管理者をしながら大学院に通う。ソフィアメディ初の365日対応型となる総合ナースステーション城南の立ち上げにも携わった。一時期は本社に異動し、訪問看護部長としても活躍。その後は再び管理者として複数のステーション立ち上げ・立て直しを手がけ、現在はステーション雪谷にて勤務中。
※現在、ソフィアメディでは、新卒採用は行っておりません。(2021年8月時点)
訪問看護の認定資格は、取得してからが本当の勝負だった
─Oさんは、入社後に働きながら認定看護師の資格を取得されましたよね。当時、資格を取ろうと思ったキッカケが何かあったのでしょうか?
Oさん:未経験で入社した私は、最初は在宅どころか一般的な看護師としても全く役に立ちませんでした。だから、形として何か自信になるものが欲しかったんです。「この資格を取れば、周りの皆さんに追いついて、もっと仕事ができるようになるのではないか」という思いもありました。
─なるほど。では実際に取得してみて、いかがでしたか?
Oさん:実は、心理的には取った後のほうが大変でした。というのも、訪問看護の認定資格があることで、周りから「その道のスペシャリスト」という目で見られるようになったからです。
最初は「この資格さえ取れば、今よりもっと自信を持って仕事ができるようになるはず」と思っていたのですが、実際はむしろその逆でした。資格保有者としてそれまで以上に高いレベルが求められるようになり、より自分の立ち居振る舞いや外部への対応に気をつかうようになりました。
また、「資格を取っても、あの程度か…」と思われないために、新しいことを積極的に学ぶなど、自己研鑽にもより一層力を入れるようになりましたね。
安心して自宅に帰れる環境をつくることが、訪問看護のプロの役割
─資格を取り、訪問看護師としてのプロ意識がより強くなったということですね。具体的に、仕事ぶりはどのように変わりましたか?
Oさん:個人的に、訪問看護師の腕の見せどころは、お客様が安心してご自宅に帰れるように、退院してから在宅療養がスタートするまでの滑り出しをスムーズに進めることだと思っています。その点をより強く意識して行動するようになりました。
というのも、在宅療養は最初の2週間が山なんです。そこでつまずくと、「やっぱり無理」とすぐ病院に戻ってしまう方もいらっしゃいます。でもその山を乗り越えれば、あとはもうスムーズに滑り出していけるので、そこまではとにかく手厚くお手伝いをする。そして、サポートが要らなくなれば手を引いていく。私はそう決めています。
例えば、「ご自宅に帰ってからはこういうことが予想されるので、こんな準備が必要です」といったアドバイスやサポートは、訪問看護をよく知っている人でないとできません。そこが訪問看護の認定資格を持つ者の強みであり、自分の価値を見出せる一番のポイントだと思っています。
亡くなった後まで、ご家族の心のケアもしっかりと
─他にも、ソフィアメディの訪問看護師として大切にしていることがあれば教えてください。
Oさん:やはり、「亡くなる」ということもお客様によっては本当にご家族の目の前で起こるわけなので、病院とはまた違ったご家族のケアが必要になってきます。ここもすごく大事ですね。
それまでご本人ができていたことができなくなってこられると同時に医療処置が増え、ご家族にケアの内容をお伝えしてお願いすることも出てきます。また、体調が思わしくない日が増えてくることにご不安を感じたり、亡くなる前から周りのご家族が「予期悲嘆」で悲しくなってしまうケースも多いので、そうしたご家族の心のケアも必要です。
さらに、私はお客様が亡くなった後のご家族のケアも大切だと思っています。後日、お花を持って弔問に行ったりもしています。そうして交流やサポートを続けることで、ご家族も落ち着いた頃にいろんな思いを振り返ることができるようになるのかなと思っています。
ピアノを通じて、認知症のお客様と心を通わせたことも
─これまでの看護人生で、特に思い出に残っているのはどんなエピソードですか?
Oさん:入社10年目くらいの頃に、とある認知症のお客様を担当していたときのことです。その方はピアノの先生だったのですが、かなり重度の認知症で、最初はなかなかお部屋から出てきてくださらなくて。そこでご主人に、「私、生徒役をやってもいいですか?」と提案してみたんです。もしかすると、ピアノを習いに生徒が来たら、先生として教えたくなってお部屋から出てきてくださるんじゃないかと思って。
─なるほど!良いアイデアですね。
Oさん:ご主人も快諾してくださったので、私はバイエルという一番初心者向けのピアノ教本を買い、「先生、来ました」と生徒として声をかけました。すると今度はすぐにお部屋から出てこられて、ピアノを演奏してくださったんです!
認知症が進んでいたため、同じ箇所を30回くらい弾くようなこともあり、なかなか楽譜は先に進みませんでしたが、すごく丁寧に優しく教えていただいて。私自身、初心者で演奏はできなかったものの、その時間がとても楽しかったのを覚えています。
─素敵なエピソードですね。それでご自身でもピアノを始められたと?
Oさん:はい。そのお客様は私の転勤を機に他のスタッフに引き継いだのですが、ピアノには日頃と違った緊張感があっていいなと思いました。そこから自分でも趣味として始めて、もう7〜8年になりますね。今も、年1回の発表会に向けて練習中です。最初は仕事がきっかけでやり始めたことでしたが、今では私も純粋にピアノを楽しんでいます。
18年も仕事を続けてこられたのは、お客様がいたから
─やはり、「人」との関わりが、訪問看護における最大の魅力なのでしょうか。
Oさん:そうですね。これまで続けてこられたのは、やっぱりお客様のおかげです。心からの「ありがとう」や、「あなたがいてくれてよかった」といったお客様やご家族の言葉に支えられて、18年間やってきました。
私は以前、「人生の最後に、その人の手帳に名前が載る仕事だね」と人から言われ、たしかにそうだなと思ったことがあります。というのも、亡くなったお客様の手帳に、「今日はOさんが来てくれた」と私の名前が書き込まれていたのを拝見する機会があったんです。
「看護師さん」ではなく、名前で呼んでもらえる自分という一人の人間としてお客様と接することができるのは、本当に痺れるような経験で、何ものにも代えがたい財産だと改めて感じました。
─高いプロ意識を持ち、常にお客様とご家族にしっかり寄り添ってこられたOさん。訪問看護ならではの提供価値ややりがいがよく伝わるお話を、どうもありがとうございました!
▼Oさんのインタビュー記事前編はこちら
「新卒から訪問看護一筋」。勤続18年のベテラン看護師が管理者になるまでのキャリアとステーション管理のやりがいを語る