福岡に在宅療養をゆきわたらせるためスタートラインへ。チームを信じて走り始める

福岡に在宅療養をゆきわたらせるためスタートラインへ。チームを信じて走り始める

ソフィアメディは「安心であたたかな在宅療養を日本中にゆきわたらせ、ひとりでも多くの方に、こころから満たされた人生を。」を掲げており、現在70の訪問看護ステーションを運営しています。そして、ステーションの数だけ様々なキャリアや個性、そして志をもった管理者がいます。

今回は、5月1日にソフィアメディとしては初となる福岡エリアに開設したステーション小倉で管理者を務めるKさんにお話を伺いました。どのようなキッカケで訪問看護の道に進まれたのか、ステーションの雰囲気についてもお答えいただきました。

<プロフィール>

■K.Nさん/看護師・管理者/ステーション小倉
福岡県北九州出身。急性期病院(心臓血管外科、循環器内科病棟)、療養型病院(一般病棟、療養病棟、人間ドック、内視鏡室)を経験する。2年前に叔父を看取った際に、より多くの方に人生の選択ができるよう支援したいと想いから、訪問看護の道を志す。その際に、福岡エリア初出店となるソフィアメディに出会い、理念や行動指針に感銘を受け入社を決意。現在はステーション小倉の管理者として、開設に向けた準備を進める。趣味はジョギングと半身浴。

(※記事の内容は2022年4月取材当時のものです)

立ち止まって気づいた経験の偏り

──看護師として初めて働かれたのは急性期病院だったのですね。

Kさん:そうですね。当時「看護師になるからには、目の前で人が倒れたときに人命救助ができないとダメだ」と考えていました。そのために、どんな知識や技術が大事だろうと考えたとき、心臓のことがわからないと人の命は救えない、勉強するならその分野で一番のところで学びたいと思い、心臓血管外科では国内トップクラスの症例数や設備がある地元の小倉記念病院に入職を決めました。

──ものすごく行動的ですね(笑)。

Kさん:実際に入職してみると、そこで働くみなさんのモチベーションや知識・技術の高さに驚きました。「for the patient」を目標に掲げ、向上心高く、知識・技術ともに高いチームで働き、「もう心臓は十分」というくらい勉強しました。

しかし、ある日ふと「あれ?私って心臓以外のことが何もわからないのかもしれない」となりました(笑)。それではダメだと思い、幅広く経験するため療養型の病院への転職を決めました。

──急性期病院から療養型病院に転職され、病院の雰囲気や働き方に変化はありましたか?

Kさん:急性期病院では緊急度が高く、生死をわける患者様も多いため、スタッフも絶えず勉強や自己研鑽が必要でした。そのため「勉強がしたい」というモチベーションの方が周りにはたくさんいました。しかし、療養型病院では生活のために働かれている方を見て、看護に対する向き合い方が人それぞれ違うということを知りました。

当時の先輩に「療養型病院に転職します」と伝えると、「あんたには絶対合わん!すぐやめるよ?でも、合わないからこそ真っ白な気持ちで行ってきなさい」と言われました。急性期病院とは違った緊張感やゆったりとした時間の流れにはじめのうちは違和感を感じ、もどかしい日々が続くなか「この価値観は私と違う」ではなく、「こういう世界もあるんだ」と思えるようになりました。療養型病院に求められる看護を肌で感じ、さまざまな疾患の患者様を看るなかで新しい知識・技術を得ることもできました。

今までは勉強の日々でしたが、転職してから初めてプライベートの時間を持つ余裕ができました。恋愛にも興味がなかったし、この生活スタイルでは家庭を持つことも無理だろうと思っていましたが、このタイミングで出会いがあり、結婚や子育てを経験することができました。

──途中、また急性期病院で働きたいとは思わなかったんですか?

Kさん:子どもが3歳になると急に熱を出すことも減り、仕事にも余裕が出始めてきたので「やっぱり急性期病院に戻りたい」と思うようになりました。

それを夫に相談すると「家庭と仕事の両方を100%でやらなきゃ気が済まない性格だから、きっと潰れてしまうよ」と言われました。友人からも「今のあなたにとって、大事なのは家庭なのよ」と言われ、たしかにそうだなと納得しました(笑)。

キッカケは叔父のお看取り

──そこから訪問看護の道に進まれたキッカケを教えてください。

Kさん:去年の夏に叔父を看取ったことがキッカケになります。叔父の家は実家の斜め向かいだったので、私が幼い頃から娘のように可愛がってくれました。

2年前、叔父が肝臓がんのStage.3と知り、医師からは「余命3年ほど」と言われていました。それを聞いてから、病院の受診は毎回付き添い、入院中も仕事終わりに毎日面会へ行きました。医師から治療方針を告げられた際、叔父は「それならそうするしかないですね」と納得していたのですが、私が「こういう選択肢はどうですか?」と聞いてみると、医師から「その選択肢もできそうだね」と返事があり、治療の選択肢を広げることができました。

「最期は自宅で過ごしたい」という叔父の希望を叶えるため、余命が残り1ヵ月というタイミングで退院をすることにしました。そのとき、一つだけ家族で決まりごとを作っており、叔母に介護負担をかけさせたくないという叔父の気持ちから「自分でトイレに行けなくなったら病院に戻る」としていました。

退院後は、叔母の手料理を食べることができて、満足そうに過ごしていました。しかし、一週間ほど過ごしたある日、叔父が一人で立ち上がることができなくなりました。私はそうなることを見据えて、コロナ禍でも面会ができるホスピスの手配をしていたので、すぐに入院することができました。ホスピスに着くとベッドにバタッと横になってから、一度も起き上がることなく一日半で亡くなってしまいました。ギリギリまで自宅で頑張っていたのか、病院に着いて安心したのかもしれませんね。

最期は親戚が10人くらい見守るなか息を引き取ったのですが、親戚から「私たちだったらここまでの段取りは思いつかなかった」「私もこんな最期を送りたい」と言ってもらえました。治療には選択肢があるということを知らなければ、叔父は自宅に帰ることができず病院で息を引き取ったかもしれません。そのときに「自分の知識や経験を活かして在宅で自分らしく最期を迎えるための選択肢を提供したい、残された人生を有意義に過ごせる人を増やしたい」と思い、訪問看護への転職を決めました。

──Kさんの提案がなければそのお看取りはなかったんですね。

Kさん:家族や親戚だけでは、一度家に帰ってからまた病院に戻るという選択肢には至らなかったと思います。まだ「ホスピスって何?」ということもありますし。

──訪問看護への転職に向けてどのようなことをされたんですか?

Kさん:地元の訪問看護ステーションを探してみると「子どもがいても無理なく働けます」や「楽しく働くことができる職場です」というところは多いのですが、意欲的に勉強したいと思っていた自分にはなかなかこれだ!という職場が見つかりませんでした。

去年の12月、人材紹介会社の方から「ソフィアメディという会社の募集が出ていましたよ。多分Kさんお好きなんじゃないですか?」と言われ、ホームページを見たときに鳥肌が立つくらい衝撃的でした。会社の掲げるビジョンやミッションに共感し、それを果たすために教育体制や人事制度が整えられている訪問看護ステーションがあったんだ、働くならここしかないと思いました。

──転職を決められた際、今度は夫様から反対されなかったんですか?

Kさん:入社する前から気持ちはソフィアメディの一員になっていたので、夫には「ソフィアメディはこういう会社になっていて」とプレゼンしました(笑)。

「自分の実力が足りず、入ってもコテンパンに打ちのめされるかもしれないけど、それでもここに入らないと絶対に後悔すると思う」と夫に伝えると、「どうぞご自由に」と応援してもらいました。そして2022年4月1日、ソフィアメディに入社しました。

陸上部で学んだチームとしてのあり方

──現在、ステーション小倉には何名のスタッフがいますか?

Kさん:私のほかに看護師3名、理学療法士1名、相談員1名の計6名です。みなさん優しくて、初めて会ったときに「私たちが良い雰囲気をつくって、これから入社してくれる方にとっても風通しの良いステーションにしたいね」、「自分は前職で訪問看護ステーションで管理者だったからKさんの大変さはよくわかるよ。だから最初から無理し過ぎなくていいんだよ」と言ってもらいました。

そのなかで私の役割は、ステーション小倉のみんなが幸せに働き、訪問看護っていいね、ソフィアメディっていいねと思いながら働く環境をつくることだと思っています。

──すごく前向きですが、Kさんなら有言実行されそうですね!

Kさん:ちょっとポジティブ過ぎるのかもしれませんね(笑)。

中学のときにやっていた陸上部の影響があるのかもしれません。九州駅伝で優勝経験があり、男子チームは全国制覇をするくらいの強豪校でした。その分、練習にもすごく力を入れていて、1年間で休みが2日しかありませんでした。

そのときの教えは今でも記憶に残っており、『三国志』や『兵法』を読んでチームとしてのあり方や戦術を学んだり、『成功哲学』を毎日読んで「私たちはできる、という姿勢で挑まなければ成功できない」ということを教わりました。そういう考えが今でも価値観の根底にありますね。

駅伝は5人1チームになるので、1人だけ速くてもダメ。全員が同じ目標に向かって仲間を信じ、頑張らないと勝つことができません。仲間を信じ、大切にする、ソフィアメディに強く共感したのもこの考えがあるからだと思います。

──今でも走ることはありますか?

Kさん:趣味でジョギングをすることがあります。色々と考えることがあって、もうどうしていいかわからない!というときに走ると考えがすっきりして、頭と体をリセットすることができます。

──どこまでも走り続けるストイックな姿勢はKさんの看護観とも通じますね。それでは最後に意気込みをお願いします。

Kさん:私は誰かを笑顔にしたり、喜んでもらうことが好きです。何をしたら喜んでもらえるかな、と想像するだけでワクワクしたり嬉しくなります。自分のしたことで誰かの手助けになったり、喜んでいただけるとそれが私の喜びになります。

私にとって「生きる」を看るとは、お客様とご家族の人生を大切にお預かりすることだと思っています。人生の正解は一つではありません。だからこそ、本当にこれがベストなのか、他にできることはないか、と常に探究心を持って勉強し、ありとあらゆる手を尽くしていきます。

また、ステーション小倉のスタッフ全員も自己研鑽を惜しまず、ありとあらゆる手を尽くします。一生懸命が故に悩むことも多いと思います。でも、すべてはお客様の幸せを願い乗り越えてくれています。私はこんなにも志高いチームで働くことができて本当に嬉しく思います。「スタッフがお客様の光となり、自身が輝き続けられるようにすること」これが今の私の役割だと思っています。

「お客様の光となる存在を目指す」と話すKさんからは、仕事に対する情熱やストイックな姿勢が伝わり、まさに光り輝く太陽のような存在でした。ステーション小倉の開設に向けて準備運動を念入りに行い、5月1日から走り出しています。私たちが目指す未来である「安心であたたかな在宅療養を」小倉だけでなく、福岡、そして九州全体にゆきわたらせていかれることと思います。

[取材・文]岡田紘平 [写真]本人・スタッフ提供